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バスク地方 Basque

      ピレネー案内 Le Guide des Pyrenees

よみがえるバスク

クロマニョン人の末裔

 バスク人は、フランス南西部からスペイン北部に、壁画など多くの洞窟遺跡を残したクロマニョン人の系統である。しかし、最近の遺伝子研究によっても、同じコーカソイドに分類されるフランス人やスペイン人との類似性は認められないので、早い時期に分離し、中石器から新石器時代に西ピレネーで独自の進化過程をたどってきたものと思われる。

 彼らは、先住民族(プレ・イベロ人)として、イベリア半島北部にもっとも早く住みついた。やがて、巨石文化を生んだ青銅器時代以降、ケルト人が入ってきた鉄器時代には、東はピレネー東部、西はスペインのブルゴス付近にまで広がっていたと考えられる。

 紀元前、強大なローマ帝国が半島に進出した時には、ピレネーの山々に守られてローマ化されることなく生き残り、次の西ゴートの時代にも併合されなかった。8世紀以降も自らバスコニア公国、ナバラ王国を築いて独立性を維持した。
 言語の点でも、彼らの言葉(バスク語)は、ラテン語(ロマンス語)から多くの語を借用しながらも、優勢な周囲の言語に吸収されず、今日までその原型を保ち得たのである。

 

民族分断の歴史

 旧来言われてきたバスク七州とは、フランスの旧2州(ラブール、バス=ナヴァール、スール)とスペインの4県(アラバ、ギプスコア、ビスカヤ、ナバラ)を指す。全体の人口は約300万で、そのうちフランス・バスクには、旧3州を含むピレネー=アトランティック県を中心に20数万人が住んでいる。
 フランス・バスクはスペインほど自治・独立への志向は強くないが、言語・文化の保存・継承の気持は強く、各地にはバスク文化の美術館や博物館が開設され、伝統芸能の催し物も各地で開かれている。

 スペインではアラバ、ギプスコア、ビスカヤの3県がバスク自治州を構成しているが、ナバラ、リオハ両県にもバスク系住民は多く、特にナバラ県が自治州に加わっても不思議ではない。しかし、そうならなかったのはナバラ県の政治的思惑が働いたからで、バスク統合への住民の要求は強く、完全独立をめざす過激派の「祖国バスクと自由」を中核とする独立要求運動は激しさを増した。

 そんな中でテロ活動もしばしば起こり、保守派の国民党政権と鋭く対立してきたが、マドリッド駅爆破事件によって国民党政権は崩壊し、バスクの自治権を容認する社会党政権が誕生した。この結果、停戦協定が成立し、バスク独立運動によるテロ活動は収束した。
 国境を低くし国家の役割を小さくすることで紛争をなくそうとするEUの基本概念と、民族自決・独立の運動の間にどう整合性をつけるか、これは、壮大な実験といわれる欧州統合にとって乗り越えなければならない大きな課題の一つである。

岐路に立つスペイン・バスク

 同じバスク圏でもフランスとスペインの大きな違いは、自治意識とバスク語への思い入れである。フランスでは自治あるいは独立志向は弱く、バスク語を話せるバスク人も年々減少してきたが、スペインではそれとまったく逆の状況にある。
 すでに述べたように、バスク人はかつて独立王国を形成していたが、強大な国家が誕生してからは、少数民族の宿命で国家の中に吸収されてしまった。

 特にスペインでは、ナチスによるゲルニカへの無差別爆撃とその後のフランコ政権による徹底した弾圧によって、言語や社会習慣が完全に抑圧されてきたが、逆にそのことが現在の強い独立志向につながっていると言えよう。
 1975年、40年に及ぶフランコ独裁が終えんし、一連の民主化政策のなかで新憲法が制定され、バスクは自治権を獲得し自治州となり、80年代にバスク語は、カタルーニャ語やガリシア語と共に公用語としての地位を獲得した。

一国家一言語の衣を脱ぎ捨てたスペイン

 こうしてスペインは、複数の公用語をもつことによって、一国家一言語という古い衣を脱ぎ捨て、多言語国家になった。言語や文化、形質を異にする人種・民族の数は全世界で3000といわれる。一方で国家を形成している数は200未満で、国家とはあくまでもさまざまな人種・民族・言語を包含した人為的、政治的結合体でしかない。
 国家主権を棚上げし、国境のもつ意味を極力小さくしようというヨーロッパ統合(EU)の試みは、市場や通貨統合といった経済的側面とは別に、国家とは何かをあらためて問い、ヨーロッパ市民という概念を生みつつある。

 国家の枠組みが弱くなればバスクのように政治的に分断された民族の統一が可能になる。ただし民族統一は国家統一ではないし、新しい国家の誕生を意味しているわけでない。同じ言語を話し、同じ生活風習をもつ人々の共同体の創出であり、そうした共同体の共存を前提とした新しい社会秩序である。ヨーロッパという地域にバスク人による統一的な文化圏が形成されるということで、既成の古い国家概念や排他的な民族主義とは無縁である。

 

バスクの主邑バイヨンヌ